最高裁判所第一小法廷 昭和62年(オ)1137号 判決 1989年2月16日
上告人
甲橋月男
右訴訟代理人弁護士
石原俊一
被上告人
乙山ハル子
被上告人
丙川夏子
被上告人
丁谷秋子
被上告人
甲橋冬男
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人石原俊一の上告理由一について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するものにすぎず、採用することができない。
同二1について
自筆証書によって遺言をするには、遺言者が遺言の全文、日附及び氏名を自書した上、押印することを要するが(民法九六八条一項)、右にいう押印としては、遺言者が印章に代えて拇指その他の指頭に墨、朱肉等をつけて押捺すること(以下「指印」という。)をもって足りるものと解するのが相当である。けだし、同条項が自筆証書遺言の方式として自書のほか押印を要するとした趣旨は、遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ、右押印について指印をもって足りると解したとしても、遺言者が遺言の全文、日附、氏名を自書する自筆証書遺言において遺言者の真意の確保に欠けるとはいえないし、いわゆる実印による押印が要件とされていない文書については、通常、文書作成者の指印があれば印章による押印があるのと同等の意義を認めている我が国の慣行ないし法意識に照らすと、文書の完成を担保する機能においても欠けるところがないばかりでなく、必要以上に遺言の方式を厳格に解するときは、かえって遺言者の真意の実現を阻害するおそれがあるものというべきだからである。もっとも、指印については、通常、押印者の死亡後は対照すべき印影がないために、遺言者本人の指印であるか否かが争われても、これを印影の対照によって確認することはできないが、もともと自筆証書遺言に使用すべき印章には何らの制限もないのであるから、印章による押印であっても、印影の対照のみによっては遺言者本人の押印であることを確認しえない場合があるのであり、印影の対照以外の方法によって本人の押印であることを立証しうる場合は少なくないと考えられるから、対照すべき印影のないことは前記解釈の妨げとなるものではない。そうすると、自筆証書遺言の方式として要求される押印は拇印をもって足りるとした原審の判断は正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
同二2について
原審の適法に確定した事実関係のもとにおいて、所論の抹消部分に訂正印を欠いていることは本件遺言の効力に影響を及ぼさないとした原審の判断は正当として是認することができ(最高裁昭和五六年(オ)第三六〇号同年一二月一八日第二小法廷判決・裁判集民事一三四号五八三頁参照)、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官佐藤哲郎 裁判官四ツ谷巖 裁判官大堀誠一)
上告代理人石原俊一の上告理由
一 <省略>
二 原判決には法令解釈の違法がある。
1 民法九六八条第一項は「自筆証書によって遺言をするには、遺言者がその全文、日附及び氏名を自書し、これに印をおさなければならない。」と規定している。
しかるに、本件遺言は拇印はあるが印を押していない。自筆証書遺言の様式をととのえていない。
この点に関して原審(一審)判決は「自筆証書遺言による遺言に押印を必要としたのは、遺言者の同一性を確保することと遺言者自身の意思にもとづくことを担保することにあるから、拇印でも差し支えないというべきである」としている。
なるほど、遺言成立の他の状況に何の疑問もない事案の場合、単に拇印であるというだけで全体を無効にするのにしのびないということもあろう。しかし、本件の場合は成立につき疑問が多い。同一性確保の観点からも本件の場合は、誰の拇印であるか実際のところはわからない。本人が死亡してしまって立証の余地もない。とすると、本人が自らを示す印を押している場合とでは、同一性の証拠としては拇印の方がずっと弱い。もっともまれには本人の指紋と一致することが立証できれば、より強い同一性の立証になることもあろう。しかし、それは例外であり、本件の場合ではない。
従って、特段の事情の存する場合以外は自筆証書遺言の様式は厳格に解釈して、成功率が非常に高いと言われている遺言の偽造を防止すべきである。
偽造遺言の場合、肝心の最も大切な直接証拠が死亡・滅失しているので、その立証が非常に困難である。それを救うのが様式違背である。本物でないものは何かおかしい。そのおかしいところが様式の欠陥として現れる。それによって公平と真実を保とうとしたのが立法の趣旨である。
2 <省略>